2019年4月に施行された働き方改革法により、洋菓子業界にも環境変化の波が押し寄せてきています。
できる限り労働環境の整った職場で働きたいと考える若手が増えていく一方で、職人であり経営者でもあるオーナーシェフからは、「雇うこと、 育てることの難しさ」の声も上がっています。 年長のシェフたちにとって今の時代は、かつて自身が修行を重ねた頃とは大きく異なる環境。自分とは考え方が違う若手の子たちをどのように指導していったらいいのか…と、悩んでいる方も多くいらっしゃいます。
今回は、メゾン・ド・プティフールの西野シェフや業界屈指の有名店・オーボンヴュータンの河田シェフに師事し、18年前に独立されたピュイサンス・井上佳哉シェフにインタビューを依頼。
業界全体が師弟色の強かった修行時代を過ごした井上シェフは、今の世の中と洋菓子業界で起こっている「考え方や価値観の変化」を、どう感じているのでしょうか。 修行時代のお話や、自身も経営者となって思うことを、ありのままに語ってもらいました。
井上佳哉(いのうえよしや)さん
1970年、神奈川県茅ヶ崎市生まれ。調理師専門学校を卒業後、東京・大田区「メゾン・ド・プティフール」に入社、5年勤務したのち渡仏。MOF(フランス国家最優秀職人章)を取得する「ダニエルジロー」など、パティスリー数店で2年間本場のフランス菓子を学ぶ。帰国後は東京・尾山台「オーボンヴュータン」で3年修行。2001年横浜市青葉区に「ピュイサンス」をオープン、現在に至る。
「やるしかない」状況で仕事に励んだ修行時代。フランスでは太陽を見ない日々を過ごした
▲田園都市線・青葉台駅から徒歩20分ほど。静かな住宅街にある一軒家のパティスリー「ピュイサンス」。創業18年、神奈川県内で屈指の人気店だ
――井上シェフのご実家は洋菓子店だとお聞きしました。小さい頃からパティシエになろうと思っていたんですか?
今はもうないんですけれど、40年以上営業していた洋菓子店でした。僕は小さな頃から父にしょっちゅう店に連れて行かれていました(笑)。父が働く姿を近くで見ながら、納品の箱を折って片づけたり、卵を割ったり。そういう環境で育ったので、憧れもあったのかもしれません。
▲シックな店内では焼菓子、生菓子、タルト、コンフィズリー、ショコラなど多様なお菓子が並ぶ
――卒業後は、オーボンヴュータンでも修行された経験をもつ西野之朗シェフのお店「メゾン・ド・プティフール」に入店されます。
その頃まだお店はなく、厨房だけでフールセック(焼菓子詰め合わせ)などの卸が中心。 華やかなケーキ屋というよりシンプルな「焼き物屋」という印象でした。西野さんは面接当時、学生だった僕にも、自分の仕事に対する想いや今後の展望なんかを色々話してくれて。そこに惹かれたんだと思います。
▲店内のショーケース
――入店後はどんな風に仕事を覚えていったのでしょうか?
焼菓子なので、絞ったりたたいたり伸ばしたり切ったり…と、やることはだいたい決まっていました。単純作業の繰り返しで、じゃんじゃん焼いてって。必然的に覚えないと仕事が成り立たないんですよ。 毎日ものすごい量を目まぐるしく作る専門店だから、絞る速さも重要になる。厨房のオーブンは常に埋まっていて、何かしら焼いている状態です。悩んだり迷ったりしている余裕はありませんでした。
それに西野さんのお菓子は「ギリギリまで焼く」ことをすごく大切にしていました。どれも火力のクセがある窯で、この見極めがまたものすごく難しかったです。僕はオーブンを任せてもらえるまで3年くらい。かなり時間がかかった方だと思います。
――まさに”体で覚える”といった修行をされてきたんですね。メゾン・ド・プティフールでは5年勤めて、その後は渡仏されますが、どんなことを学ぼうと思っていたんですか?
違うお菓子も学んで視野を広げたいと、その時に興味を持っていたショコラを身に付けるつもりで、フランス・ローヌ地方にある名店「ダニエルジロー」に行きました。シェフはMOFも取得している、フランス洋菓子界の重鎮のような方です。たまたま空きがあったのですぐに雇ってもらえたのですが、ここでは本当にカルチャーショックの連続でした。
▲フランスでの経験が活かされたショコラも、ピュイサンスの人気アイテム。
――カルチャーショック…言葉や文化の違いですか?
やる気はあっても言葉は通じないし、最初は何をやったらいいか、何がどこにあるのかも全然わからない。一度のチャンスでうまくできなければ「次これやって」とは言われない。そういった場所に身を置くのは初めてだったので色々とショックでしたね。修行人は世界各国から来ていて、洗い物のような雑用でもアラブ人たちの仕事に割り当てられている。取るか取られるか、みんなが仕事を取り合うような、厳しい環境でした。 当時は労働時間も長くて、夜中3時から夜中の11時くらいまで毎日働いてましたね。
――えっ、20時間ですか⁉
お店の地下にあるショコラの厨房と、寝泊りしていた部屋の往復です。夜中に起きて仕事して、立ち食いでまかないをかき込んで、ベッドと小さな机しかない部屋に戻って倒れるように寝て…っていう、太陽を見ない生活を半年くらい続けました。たまの休みでも普通に呼ばれるので、気が休まる瞬間がないんです。確かに技術は学べたけど、今思えばちょっと精神的に参っていた時期かもしれません。
▲店内の様子
――よく半年も続けられましたね…。フランスの他のお店もそんな働き方だったんでしょうか?
いや、ここは特殊だったと思います。その後、フランスの地方の菓子に興味が出てきて、ノルマンディーやバスク地方のお店に移りました。もうあまりに違いすぎて天国に感じました(笑) 。
例えば、バスクではどこも昼に仕事が終わるんです。既定の分を作ったらそれで終わり、その代わり、仕事となったら誰もが一気に集中してしっかり仕上げます。オンオフの切り替えをきっちり行う、プロフェッショナルだからこそできる働き方です。同じフランス国内でも場所によって働き方が違うんだなと衝撃を受けましたね。
「これまでの考え方は全部リセットしなければ」。オーボンヴュータンに入って感じた焦り
▲生菓子は20種程度を揃える。新しい菓子を作るより、今あるお菓子を磨き上げることに重きを置いている、と井上シェフ
――2年間、フランスで様々な刺激を受けて帰国されますが、すぐにオーボンヴュータンに入られたんですか?
実は、フランスで知り合った日本人に「地元で店をやるので帰国したら働かないか」と誘われてそのお店で働いていたんですが、なかなかうまく行かなくて、結局辞めることになってしまって。さて、どうしよう…とメゾン・ド・プティフールの西野さんに相談しに行ったときに、オーボンヴュータンの河田勝彦シェフを紹介されたんです。
――それが、西野シェフが修行時代を過ごしたオーボンヴュータンへ入るきっかけだったんですね。
僕は西野さんのお店で覚えてきたことも、フランスでの修行経験もあって、お菓子づくりのベースはある程度身についたと思っていました。 だけど、オーボンヴュータンに入ってすぐ「全部リセットしないと、ここでは通用しないんだ」と焦りを感じました。
――リセット、というのは?
河田さんは自身で学んできたお菓子をよりおいしくするために細部にまでこだわって、さらにお菓子の背景や文化まで追求して…と、常にブラッシュアップしています。シェフの一言一言はいつも重くて、しかもどれもその通りで。もちろん僕自身のベースは経験としてあるけど、これは自分自身をいったん全部カラにして吸収していかないとダメだなと。
この作業にはどんな意味があるのか、次にどうすればいいのかを常に頭で考え、心に刻み付けなければいけないと気が引き締まりました。
――井上シェフは河田シェフのもとで3年、経験を積んでいますよね。これまでにも大変なことは色々あったと思いますが、めげずに続けてこられた理由って何だと思いますか?
やっぱり「我慢できた」から、じゃないでしょうか。河田さんにもよく言われたんですけれど「見習いのうちは我慢しろ」って。雇われていたらその店のシェフが第一。混ぜ方ひとつとってもシェフのやり方が絶対だし、シェフが細かに培ってきたノウハウだから、それに沿えるかどうかが全て。 とはいえ、自分で独立して店を持っても我慢から解放されるわけじゃない。経営努力とか原価計算とか、今度は違う種類の我慢が出てくるわけです。
――我慢、ですか。
今は働き方改革が進んで、働きやすい環境を整えようっていう動きがあるけれど、モノをつくる職人は一生勉強です。あの河田さんでも、ひとつの菓子に対していまだに考えて試行錯誤を繰り返しているんですよ。職人には終わりがないんですよね。 我慢しなくても働きやすい職場なんて、それは仕事ができるプロ集団ならできること。学んでいる最中では無理だと僕は思います。
若手の指導を諦めたくない。すくい上げるのが年長者の義務ではないか
――井上シェフは、自分はスタッフさんには厳しい方だと思いますか?
そうですね、仕事に関しては厳しいですね。もちろん殴ったりはしませんよ。 でも、どうしても厳しくなってしまうんです。だって、諦めたくないじゃないですか。
――諦めたくない、というのは?
「自分の思う最高のお菓子を出したい」「若いスタッフへの指導」。僕は両方とも諦めたくないんです。 最近、まわりのシェフたちからよく聞くんですよ。「気合入れて指導しても辞められちゃうから」って。 確かに、そんな風に若い子たちに見切りをつけた方が楽なのかもしれないけれど…。でも、いったんそう考えちゃうと、僕はもう商売自体を続けていけない気がします。 それに、厳しく接するってことは、若い子たちをすくい上げる義務につながると思っているんです。
――若いパティシエをすくい上げる義務、ですか?
これまで積み上げてきた経験、修行経験で得たものを全部次の世代の子たちに伝えてあげるのが、年長者の義務でしょう。僕たちはこれまで人生をかけて洋菓子を学んできたんだもの。育てることを諦めたシェフのもとからは、いっぱしの職人は100%出ませんから。
もちろん、若い子たちそれぞれが「どんなパティシエになりたいか」にもよりますけれど。でも、うちの店で働きたいと思ってくれた子には、すくい上げる=伝える努力は諦めずにしていきたいと思っています。
――伝える努力…。こうした問題は洋菓子業界に限らず、どこの業界でもありそうですね。
僕も実際、どう対応していいか迷ってばかりです。この話は河田さんともよくするんですよね。僕たちは自分の覚えてきたやり方でしか教えられない。でも、同じように覚えろっていう考え方では通用しなくなっていますから。 今の子だったら、僕がフランスの1軒目でやってきた働き方なんてもってのほかでしょ(笑)。 今は明らかに、僕らが過ごしてきた時代とは違います。そこで「僕らのときはこうだった」っていっても伝わりません。
じゃあどうやって指導すればいいのかなって。考えても答えはなかなか出ません。堂々巡りです。 対人間同士のやり取りとか、気の使い方。世代や環境の差で、根本の考え方も違う。 それを踏まえて、ひとつひとつ向き合っていくしかないのかなって思いますね。
――井上シェフは、どういう方が職人として伸びると思いますか?
「仕事への想像力を働かせられる人、意識を持てる人」ですかね。 僕らの仕事はキリがない。副材料から作ろうと思ったら、きちんと考えて動かないと1日がすぐ終わっちゃう。だから、普段はボーッとしていてもいいんだけれど、仕事の上での頭の良さや想像力は大事だと思いますね。
それから意識することも大切です。 僕が尊敬する先輩は「一流は努力すれば誰でもなれる、超一流には意識の差だけ」と言っています。
いい仕事をしようと思ったら、食材への触り方も、並べ方も変わってくるでしょう。 技術の差なんて、ある程度のレベルまでいったらみんな一線なんです。 そこから先、どれだけ細心の注意を払えるか。 常に指示待ちで何の考えを持たずに仕事する人と、動作のひとつまでしっかり意識している人だったら、後者に任せたいって誰でも思いますよね。
「面白い菓子作っているな」と思わせるのが師匠への恩返し
――先ほど「モノをつくる職人は一生勉強」というお話が出ましたが、井上シェフは今後、お店をどうしていきたいと思っていますか?
僕は西野さんのもとでパティシエ人生をスタートさせて、さらにフランスでも色々な経験をしてきました。けれど最終的には、河田さんの考えや想いを踏襲しているんですよね。河田さんは経営者である前にまず職人。「おいしいのは前提で、常に面白いことをやりたい」と考えています。その想いを貫いているからこそ、オーボンヴュータンはあれだけのクオリティと品揃えが実現できているんです。
僕も同じように、常に面白いお菓子をつくり続けていきたいと思っています。でもそれを実現するのには、時間も手間も人手も必要。人手が足りない今はなかなか難しい。それなら逆に、商品数をグッと絞り込んでいこうかと思っています。うちの店でしか食べられないもの…。手間がかかるとか「こんなのやってられないよ」って他の店が敬遠するようなものなんかを、あえてやっていきたいなと。 経営者としてなら、本当は売れる菓子に重きを置かないといけません。でも僕はまず自分の作りたいお菓子を作りたい。経営ノウハウとは真逆になっちゃってるんですけどね。
せっかく自分の思う通りにできる店を持てたのだから、自分が面白いと思えるお菓子に全力投球したい。河田さんがうちの店に来た時、いつでも「井上、面白いことやってるな」って言わせたいじゃないですか。僕ら弟子が” 師匠に恩を返す”っていうのは、それしかないと思っています。
◆ピュイサンス
住所:神奈川県横浜市青葉区みたけ台31-29
営業時間:10:00〜18:00
定休日:木曜・第1・3水曜日/不定休
公式HP:https://www.puissance.jp/
オーボンヴュータン河田勝彦シェフのインタビュー
はこちら→『自分の引き出しをどう作るかが成長のカギ。日本の洋菓子界を牽引してきた職人が魅せる「おいしさ」への姿勢◆河田勝彦シェフインタビュー』