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インタビュー

フランス菓子の魅力を伝える、パティシエールの葛藤と奮闘の日々


大阪国際空港がある街として知られる、兵庫県の伊丹市(いたみし)。
いまなお昭和の風情を感じさせる「ひがし商店街」に、2017年の春、ある洋菓子店がオープンしました。

店の名は「パティスリー ウサギ」。
ウワサの理由は、フランスで修業したオーナー・パティシエールの村西理沙さんが手づくりする本格派フランス菓子の数々。 見とれるほど優美なケーキやおいしい焼き菓子で、「知る人ぞ知る」お店として地元のお客様の心を徐々に掴んでいます。


▲下町の雰囲気を残す「ひがし商店街」にオープンした「パティスリー ウサギ」

幼少期からフランスに憧れ、語学を勉強し、本場で学ぶ夢をかなえた村西さん。
そんな彼女に訪れた、母国日本での「開業」のチャンス。 「フランス菓子は、なかなか日本に定着しない」と悩む製菓職人が多いなか、下町の雰囲気に包まれた商店街に、縁あって店を開くことになったのです。

日本人にフランス菓子のよさを知ってもらう難しさとは?
譲れない想いとは?
33歳という若さでフランス菓子の魅力を伝えていく、パティシエールの姿に迫りました。

村西理沙(むらにし りさ)さん

1985年、兵庫県伊丹市生まれ。33歳。
関西外語大学短期大学部を卒業後、大阪のパティスリーに就職。退職後、現「アンスティチュ・フランセ関西」でフランス語を習い、2009年9月に渡仏。「ラ・プティット・ローズ」「ピエール・エルメ」「ダニエル・レベール」など数々の名店で研修を重ねたのち、2016年に帰国。2017年3月に故郷の伊丹市にて「パティスリー ウサギ」を開業。

きっかけは、「コルドン・ブルー」のレシピ集

――村西さんが「フランス菓子」に関心をいだいたのは、いつですか?
中学校一年生のときです。クリスマスに両親が「コルドン・ブルー」の製菓レシピ集をプレゼントしてくれたんです。それまでコルドン・ブルーの存在を知らなかったから、「なんて素敵な本なんだろう」と思いましたね。フランスに憧れ、フランス菓子を意識しはじめたのは、この本がきっかけです。本はいまでも大切に残していて、ときどき読み返します。


――中学一年生の娘さんへのプレゼントが「コルドン・ブルー」のレシピが書かれた本だったとは。だって、大人向けの本ですよね。
もともと小学生の頃から、お菓子のつくり方を集めた本を読むのが大好きだったんです。家庭でクッキーなどを焼く方法が書かれた昔のレシピ本を図書館で借りてきて、熱心に読んでいました。読みながら、たまごや粉が別のかたちに変化してゆく様子を想像するのが、楽しかったんです。私がそういったレシピ集を好んで読む姿を見て、両親がプレゼントしてくれたんだと思います。

――小学生の頃からレシピ集を読むほど洋菓子に興味があったということは、お菓子を食べるのも、お好きだったのですか?
いえ、実は、食べることはそれほど好きではなかったんです。生クリームは、むしろ苦手なくらい。自分で食べるよりも、レシピ集を読んだり、つくって食べてもらったりするほうが好きな子どもでした。製菓の器具も、自分のおこづかいで買っていました。

▲幼少期の村西さん。「パティスリー ウサギ」の店名は、当時飼っていたペットのウサギに由来しているそう。(画像提供:村西さん)

――食べるよりも作るほうに興味があったんですね。プロのパティシエールになる気持ちが芽生えたのは、いつですか?
高校生の頃です。お菓子をつくって学校へ持っていくと、教室でみんなが「おいしい」と喜んでくれて、それがうれしくて。たまに高校時代の同級生に会うと、いまだに「あんたが焼いてきたあのお菓子は、おいしかったわ~」と言ってくれるので、お世辞じゃなかったんだと思います。そういうこともあって漠然と「自分は将来、きっと製菓の道へ進むんだろうな」と感じていました。

働き口のあてがないままフランスへ飛び発った

――高校卒業後、そのまま製菓の学校へ進まなかったのは、なぜですか?
製菓学校には行きたかったのですが、実は両親に反対されてしまって。進路を話し合って、短大へ進むことになりました。「いつかはフランスに行きたい」という気持ちがあったので、フランス語を勉強できる関西外国語大学の短期大学部に行ったんです。

―-そうだったんですね。渡仏されたのは、いつですか?
24歳の時。2009年9月です。それまでは大阪の南船場で知人がAcru(アクリュ 現:大阪府池田市の『卉奏 /キソウ』)というカフェギャラリーをしていて、そこでケーキを作っていました。1年3か月ほどそうやって暮らすなかで、「いずれフランスに行くなら早い方がいいな」とふと思い、フランスに渡ることにしました。

――フランスでは、製菓店で働くあてはあったのでしょうか。
働き口のあては、なかったです。「行けば、どうにかなるだろう」と。住まいは叔母の知り合いを頼りました。そして、語学学校に登録をして学生ビザを取得し、パリへ渡り、「最低でも3年は頑張ってみよう」と。 若かったから、怖さより、フランスの魅力が勝っていましたね。

フランス菓子の魅力は「伝統だけではなかった」

――働き口は見つかりましたか?
はい。はじめは日本人が多くいる店で研修し、続いて、フランス人ばかりいる店へ移りました。フランス語は通じたか? いやあ、やっぱりフランス語は難しいです。学校で教わった言葉とは、ぜんぜん違います。職人さんたちとの会話のなかで、実践的に学ばざるを得ませんでした。

――本場のフランス菓子を、実際にフランスで食べてみて、どのように感じましたか?
フランスで食べるフランス菓子は、やはりとってもおいしかったですね。細かいことを言うと、小麦粉は中力粉がメインで、日本の洋菓子とは噛んだ時の弾力が違います。発酵バターもたっぷり。リッチなんです。でも味がどうこうよりも、かつて貴族が親しんだフランス菓子を、実際にその国で味わうという“気分の違い”がよかったんです。フランス菓子は、貴族たちを喜ばせるために技術が向上し、種類が増えてゆき、郷土菓子も豊富です。そういう文化的背景が魅力なんですよね。

▲画像提供:村西さん

――お菓子のつくり方の部分で、フランス人の職人から影響を受けたことはありますか?
フランスのパティシエは「ライムがない? じゃあ、レモンでいこう」って、いまあるものでなんとかしちゃう。「このお菓子は、こうつくらなければ」という厳密さが、ないんです。あるものを使って最高のものに仕上げる。それはとても意外でした。「ああ、こんなに自由で、柔らかな考え方でいいんだ」って。

充実したフランスでの暮らしと、日本から開業の誘い

――フランスで職人として大事なことを、どんどん吸収されていったのですね。そんな村西さんが帰国して開業するに至ったきっかけは、なんだったのでしょう。
この店(パティスリーウサギ)はもともと、母方の祖父の物件でした。そんな建物を壊して改築することになり、半分は母が洋服店を、残り半分を「使っていいよ」と提案されたんです。「いつか開業したい」と希望していたし、しかも店舗となる家屋自体は造ってもらえるので、本来なら願ってもないことなんですが……めっちゃ悩みましたね。

――開業する夢をお持ちだったのに、悩んだのは、どうしてですか?
はじめに決めていた3年を過ぎても「まだフランスにいたい」という気持ちが強かったんです。その頃はもう修業ではなく職業人としてお菓子をつくっていたし、湿気が少なく真夏が短いさっぱりした気候や、おいしいワインやチーズ、なにより人間関係がとてもラクなので。ただ「開業」となると、フランスでそれをするのはたいへんです。出資者を探すのはとても難しい。「このままフランスにいるか。それとも日本で開業するか」。その選択を迫られました。悩みました。悩んだ末、日本へ戻り、独立開業する道を選んだのです。


▲開業資金はおよそ600万円。日本政策金融公庫に事業計画書を提出して借り受けたそう。


▲フランスでは定着しているが、日本ではあまり普及していないジェット洗浄機。「開業したら、これは絶対に設置しようと思っていました」


▲ジェット洗浄機と同じく、村西さんの必須アイテムのパイシーター。「これがなくては、お菓子はつくれない」と語ります。

――決断されたのですね。帰国後も、関西ではなじみが薄い「フランス菓子」づくりを貫いていらっしゃいますよね。特にレトロな商店街のなかでお店を開かれて、お客様の反応はいかがでしたか?
すぐに理解はされなかったです。プリンやロールケーキのような洋菓子店の定番をつくっていないので、来店したおばあさんが「ほしいお菓子がないわ……」と肩を落として帰ってしまわれたことがありました。そんな後ろ姿を見ると、心の中で「申し訳ないです。けれど、うちはそういう店なので」と。そんなふうに、がっかりされることもしばしばあります。


▲ケーキは季節ごとに8種がショーケースに並ぶ

――価格に関しては、どのように受け取られているのでしょうか。
ケーキは400円台~500円台で、「ちょっと高いね」と言われることもあります。けれども、これでも価格は抑えています。すべてフランスと同じ材料を使うと、この値段ではとてもじゃないけれど提供できないです。とはいえ、安いからといって、あまりにもフランス菓子とかけ離れた材料を使うと、私がつくりたいものではなくなってしまいますし。

▲「ピスタチオのミルフォイユ」(500円 税別)

――「譲れないこと」って、やはりありますよね。フランスとの習慣の違いや、快適だったフランスの気候と日本の気候の違いなどは、お菓子づくりに影響しますか?
しますね! 日本は繁忙期とそうでない期間の差がありすぎます。行事が多い12月から3月までは、深夜まで働かないと製造が追いつかない。特に日本がこんなにホワイトデーを重要視する国だったんだって、パティシエになってから知りました。反面、夏が暑くて長くて、焼き菓子やケーキの売り上げがさがるんです。うちはアイスクリームとか置いてないので、季節を問わず売り上げを平均化することが今後の課題ですね。

いい素材を最高の状態にーーフランスで学んだことを大切にする

――フランスと日本の違いに戸惑うことも多々あるのですね。そんななかで日本のお客様に伝えたいことは?
フランス菓子を食べたときに気分が高まる特別感、それを伝えたいですね。お客様が「こんなおいしいお菓子、初めて食べたわ」と言ってリピーターになってくださるのが、とてもうれしいです。「フランス菓子をやっていて、よかったな」と感謝しています。

――確かに、こちらのお店をきっかけに「フランス菓子を初めて食べた」という方は、多いでしょうね。
ありがたいです。とはいえ、かたくなに「フランス本国でつくられているお菓子だけしかつくらない。売らない」わけではありません。品質がよい日本茶や和歌山産のいい柑橘類にめぐりあえたら、もちろん使います。「ピスタチオのミルフォイユ」も、フランスで習ったレシピをアレンジした私のオリジナルです。そんなふうに、いまあるもので最高の味に仕上げるのが、私がフランスで学んだ、もっとも大切なことだと思うのです。

▲「ブール・ド・ネーシュ・オ・テ・ヴェール」(350円 税別)は、ご近所の「みどり園」の日本茶を和えたもの。

店舗プロフィール

pâtisserie usagui(パティスリー ウサギ)
住所:兵庫県伊丹市中央1-7-15
SNS: https://www.instagram.com/patisserieusagui/

取材後記

フランス菓子の特徴は、食感の豊かさにあります。ザクザクした硬めの歯ざわりと、クリーミーで柔らかな口あたりのギャップが奏でるハーモニーは、フランス菓子の醍醐味です。

村西さんがお菓子と向きあう姿勢にも、それを感じました。フランス菓子がもつ気高い雰囲気を損なわぬよう、あえてファミリー向けのお菓子はつくらない。されど、いい素材に出会ったなら、たとえ本国では使わないものであっても、自分が愛してやまない”フランス菓子”に柔軟に採り入れてしまう。

硬軟をおりまぜた村西さんの姿勢は、これからの製菓シーンに大いなる一石を投じるのでは。
まだまだ若い女性オーナー、これからの展開に期待が膨らむお店でした。

この記事の筆者

吉村 智樹

おもに西日本の街・店・会社・行政・人を取材するライター。Web&紙。関西ローカル局で放送作家としても活動しています。@tomokiy

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