自分の引き出しをどう作るかが成長のカギ。日本の洋菓子界を牽引してきた職人が魅せる「おいしさ」への姿勢◆河田勝彦シェフインタビュー

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1981年、東京・世田谷区にオープンした『オーボンヴュータン』。 オーナーシェフである河田勝彦さんはフランスでの修行経験に基づき、自身が”おいしい”と思える菓子を長年作り続けてきました。

生菓子はもちろん、焼菓子、アイスクリーム、チョコレート、コンフィズリーなど多種多様なお菓子が並ぶ店内。その品揃えの豊富さ、美しさは圧巻で「フランス菓子の博物館」と称されるほど。お菓子への妥協のない姿勢と洗練された技で、たくさんの人を魅了してきました。

2015年4月には、パティシエ、シャルキュティエとして活躍する2人の息子さんとともに、トゥレトゥールやシャルキュトリも扱うパティスリーへとリニューアルオープンを果たしました。

創業から38年。『オーボンヴュータン』で腕を磨き、巣立っていったパティシエは200名を超えます。 河田シェフは現在の洋菓子界、そして若いパティシエをどうとらえているのでしょうか。修行時代のお話をまじえ、仕事との向き合い方やお店の評判についてなど、詳しく伺ってきました。

河田勝彦(かわたかつひこ)さん

1944年東京生まれ。丸の内精養軒にコックとして就職。洗い場からスタートし「米津風月堂」で菓子職人としてのキャリアをスタートさせる。67年に渡仏し「シダ」「ポテル・エ・シャボー」「ポンス」など10店以上で修行を重ねる。9年後「パリ・ヒルトン」のシェフを1年半ほどつとめたのち帰国。埼玉県浦和市に「かわた菓子研究所」を設立し、菓子の卸業を始める。1981年、東京都世田谷区に「オーボンヴュータン」をオープン。2012年には厚生労働省「卓越技能賞 現代の名工」および日本食生活文化財団「食生活文化賞 銀賞」を受賞している。

売れずに苦労した時代も。自らの引き出しにある「おいしい」と思うものを作ってきた

―――お店に一歩入って、種類の豊富さに驚きました!いったい何種類くらい作られているんでしょうか。

どのくらいかな、ちゃんと数えたことないかもしれない(笑)。とにかく僕は、自分が「おいしい」と思うお菓子を作るだけですから。 お店を開いてからは”オーナーシェフ”なんて呼ばれていますけど、そんな大層なものではないんですよ。僕の一存で、今の感覚で、何をしたいかをどんどん出しているだけなんです。すごいうんちくや、大義名分を作ってお菓子を作っているわけじゃなくて。

ただ、ここまで来るまでには色々なことがありましたけどね。どんな人でも抱えているものは色々あるし、みんなそうでしょう。

▲店内にはガトー、焼き菓子、パン、シャルキュトリなど、数えきれない種類の商品が並ぶ。

―――創業から数年ほどは、お菓子が売れなくてとても苦労されたとお聞きしました。

最初は本当に売れなかった。まだまだだったのかな。世間が思っているお菓子屋と、僕が作っているお菓子が違うから売れないんですよね。でも、僕にはこの方法しかないんですよ。かといって「今の時代に売れる菓子を作ればいい」と、切り替えることができなかった。 フランスではおよそ10年かけて、10軒以上のお店で修行してきました。最初は菓子の仕上げを行うアントルメティエ。フランス語も出来ない僕はなかなか仕事を任せてもらえませんでした。だからシェフの動きを見て「自分は次に何をしたら良いのか」を常に考えたり、迷惑がられてもわからないことはとにかく聞いたりして、自分の中に仕事のやり方を取り込んでいったんです。

どんなお店にも、その店ならではのルセットや仕事の進め方があります。色々な要素を学び、年月をかけて作り上げたのが、いま僕の中にあるお菓子作りの方法論=引き出しなんです。それを考えながらやってきて今に至ります。

▲11時頃のショーケースには多数のケーキが並ぶが、15時にはほぼ空の状態に。お菓子作りを” 作業”にしてしまわないよう、一定数のみ作っている。

―――その引き出しには、どんなものが入っているんでしょうか。

そりゃあいっぱい、色んなものが入ってますよ。そういう中身の詰まった引き出しを作るのが「修行」ですから。菓子職人として何十年も積み重ねてきたこと。それが自分の経験値になるんですよね。自分独自の引き出しを作ってこなかったら、職人としては成長しないと思っています。

うちの店も40年近く営業して、ここから巣立っていったスタッフは何百人といます。彼らが今、きちんと仕事をしたり経営したりできているのは、彼ら自身が積み上げてきた引き出しのおかげ。僕じゃなくて本人の努力ですから。 ここでは”教える”なんてことはしないんです。

学校ではなく、ここは社会。自分から学び取るスタンスを大事にしてほしい

▲お店よりさらに広い厨房。終業近くの15時頃に訪ねると、スタッフさんたちが手分けして熱心に型の手入れをしていた

―――お店では「指導する」という考えではないんですね。実際には先輩の仕事ぶりを見て覚えていくような感じでしょうか。

「指導」ではないですよね、お店は学校じゃないですから。僕はその子たちからお金もらっているわけではなく、お金を払っているんです。仕事をしてもらうために。 もちろん、先輩スタッフがフォローするし間違っていたら注意します。そうすると少しずつ自分の中に蓄積していきますよね。

ボランティアでもない、学校でもない。ここは仕事場です。「教えてもらう」っていう姿勢じゃ仕事は成り立たない。とくに今は労働時間や賃金の問題が取り沙汰され、働き方改革がどんどん進んでいます。けれどその前に、社会人として自分から学び取るスタンスは大事にしてもらいたいと思うんです。

▲スタッフは製造、販売合わせて30人ほど。入社後は皆販売を2年ほど担当し売り場を覚える。製造には10年以上勤めているベテランも

――なるほど…。では、河田シェフは「伸びるパティシエ」ってどんな人だと思いますか?

「追求する気持ちを持って仕事に向き合っている人」かな。その店の価値観、感覚を早くつかめる人は伸びると思います。 この店は僕の価値観そのもの。ここに来たからには僕やお店の価値観をちゃんと理解しようと、覚悟を決めて勤めてほしいですね。

こうした感覚を早くつかむためには、どう動けばいいのかを常に考える。別のお店に移ったらそのシェフの言う通りに仕事する。そうじゃないと失礼でしょう。それが嫌ならその店には勤めなければいいんです。

その店の「おいしいものを作る」意味を考えながらお菓子作りに取り組んでもらいたいんです。作り手はまずその気持ちを大事にしないといけません。

病気をきっかけに料理に挫折。もう一度やる気にさせてくれたのはお菓子づくりの風景だった

――ここからは、河田シェフのご経歴について教えてください。最初は丸の内精養軒にコックとして入社されていますが、その後お菓子職人になられた。何かきっかけがあったんでしょうか。

もともと食の世界に興味があったので、コックになることは自然な流れでした。東京オリンピックの選手村でも仕事したりね。でも料理の方は挫折しちゃって。それでお菓子屋の方に行ったんですよ。

――えっ、挫折されたんですか?

「ひょうそ」っていう手の病気になっちゃったんです。指先に細菌が入って爪がはがれたり、膿んできたりしてすごく痛いの。当時、洗い場のほかに野菜の皮むきや芯取りとか、毎日膨大な量をしてきたのでね。治るまでは1ヶ月くらいかかるんですけれど、その間水仕事はできないし、なんだか心が折れてしまった。手がすっかり治った後でも、コックの仕事に戻ろうとは思えなかったんです。

これからどうしようかと悩んでいた時に、選手村で見たお菓子の厨房を思い出して。面白そうだったな、やってみようかなと、ようやく気持ちが上向きになったんです。別に「お菓子が好きだから」とか、そんな理由で始めたんじゃないんですよ。そもそも僕たちの時代ではお菓子なんてそうそうないですからね。

――そうしたきっかけからここまで、何十年もわたってお菓子を作り続けて来られています。情熱を持ち続けていられるのはすごいことだと思います。

今はいろんな情報があって、あれもいいな、これもいいなって思いますよね。仕事もそう。たくさんありすぎちゃうから逆に選びにくくなって迷う時代かもしれません。 僕たちの世代では選択肢がなかった。戦後すぐで大変だったけれど、今よりも良くなろう、良くしようと誰もが一生懸命働いた時代です。そんな中で「これを仕事にしよう」と決めたら、とにかくがむしゃらにやるしかなかった。覚えることもたくさんあったし、色々な人との関係性が少しずつできてくる。たくさん悩みましたけれど、そのたびにひとつずつ解決してきたことが今につながっているのだと思います。

うちの店では、スタッフに厳しく言うし、それは世間から見たら「それパワハラじゃない?」って思われるのかもしれません。でも僕だって自分の店を持つまではずっとそんな想いばかりしてきましたよ。フランスでは馬鹿にされたりひどい扱いをされたり。悔しい想いをたくさんしてきました。 それでもその時はやらなきゃいけなかったですから。踏ん張らないといけなかった。 そういう言葉だけでめげちゃうなら最初からやらない方がいい。 僕だって生まれ変わったら菓子屋なんて絶対やらないです (苦笑)。

ネットの評判は見ない。うちのお菓子が好きな人、嫌いな人がいて当然だから

▲手前は店の名がついた「オーボンヴュータン」。菓子開店当時からずっと変わらない人気菓子。奥はビターチョコとフランボワーズのムース「ラ・フランス」。

――河田シェフの作るお菓子は「伝統的なフランス菓子」と言われていますよね。それについてはどう思われますか?

これは昔から思っていることですが、菓子をジャンル分けするのは必要ないのではないかと。例えばシュークリームはフランスにもウィーンにも、イタリアにだってあります。その国らしい焼き方、表現の仕方で根付いている。 菓子は装飾的な表現や、ありきたりな言葉でひとくくりにするんじゃなくて、もっとグローバルに考えていいんじゃないかと思うんです。

僕はフランス人じゃないけれど、長年フランスの社会、空気、習慣に触れてきた。現地の感覚が僕の中に養われていきました。それを日本に持って帰ってきて、日本の食材の中で表現してきたのが、今並んでいるお店の菓子です。「フランス菓子だからこうじゃなきゃ!」みたいな定義はしません。これはフランス菓子というくくりではなく、自分なりの菓子です。お菓子はもともとはひとつのもの。どのお菓子も、その土地で親しまれてきた背景があります。地続きのヨーロッパに行くと、そういう感覚が良くわかりますよ。

――オーボンヴュータンのお菓子は、長い時間をかけて人気を確立されていったのかなと思っています。Webサイトなどでも良くお店のお菓子が紹介されていますが、シェフはどう思われますか?

うちのお菓子が好き、おいしいと言ってくれる人がいれば嬉しいし、もちろん嫌いな人がいるのも当然だと思っています。でも今の時代、ネットで好きなこと、言いたいことなんでもたくさん書いてあるでしょう。僕はああいうのは好きじゃないから全然見ないですけれど。

――クチコミサイトなどは一切見ないですか?

見ないですね。だってずるいですよ。美味しくないと思われたなら仕方ない。でも、言いたいことがあるならお店に来て顔を出して言って欲しいですね。 たくさん菓子屋がある中、うちの店を選んで訪れてくれるのはとてもありがたいとは思っています。 でも僕にとっては、お店に来てくれるお客様はひとりひとりみんな平等。そして、僕ら菓子屋とお客様とは対等だと思っています。お菓子を買ってくれるから偉いとは思わない。基本的な接客をきちんとすればいいのであって、お客様にへつらうような商売はできません。お客さんが目的のお菓子を買って、その対価として僕たちはお金を払ってもらう。これが当たり前のことだと思っています。

――最後に、今取り組んでいることや、これからシェフがやりたいと思っていることを教えていただけますか?

うーん、わからないなあ。いつもやりたいことは突如湧いてくるし。フランスで修行先を変えるのも「ここの店ではもう自分のやるべきことはやったな」と思ったら行動に移してきました。修行している間に次のこと、やりたいことが芽生えてくるんです。その繰り返し。日本に帰ろうって思ったタイミングも思いつきですよ。行き当たりばったり、それを楽しんでるところもあります。なんか急に「もう僕はいい、ここフランスでもうやることはやった」という気持ちになったから帰ってきたんですよね。

今のところ「こうしたいなあ」っていうのはちょっと見つからないですね。今はこれだけの器をつくって、息子たち2人と力を合わせて店を切り盛りすることができて、僕のやりたいことは全てできているかなと思っています。もちろんこれからも、より良い商品を届けていくっていう気持ちはありますけれどね。

取材後記

オープンから数年後は売上低迷だったものの、テレビに紹介されたことでから一転し、売れすぎて製造が追いつかなくなったことがあったというオーボンヴュータン。それからは「お菓子を作業にしてしまわないように」「作り手が疲弊しては心を満たすお菓子は作れない」そんな強い思いをもってお菓子作りと向き合ってきたそう。 河田シェフの著書『すべてはおいしさのために』では、修行時代のヨーロッパでの経験や希有の職人の生き方が詳しく綴られていますので、ぜひ手にとってみてください。

店舗プロフィール

オーボンヴュータン
住所:東京都世田谷区等々力2-1-3
営業時間:9:00〜18:00
定休日:火曜日・水曜日
公式HP:http://aubonvieuxtemps.jp/

written by

田窪 綾

調理師免許持ち、レストラン勤務経験ありのライターです。東京都内近郊を中心に、食と食に関わる方の取材執筆をしています。(Twitter:aso0035)

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