マロンペーストをふんわり盛り上げた洋菓子、モンブラン。
ほとんどの日本人が一度は食べたことがあるのではないでしょうか。
お菓子業界の中では、プリン、シュークリーム、ショートケーキに並び、「洋菓子の四天王」とも呼ばれているそうです。
今回はそのモンブランの発祥と、日本での発展についてまとめてみました。
モンブランの歴史
モンブランの発祥には諸説あります。
まず、その原型とも言われる菓子は、アルプス山脈付近のフランス、イタリアで食べられていた家庭菓子であると言われています。
「モンブラン」を直訳すると「白い山」となりますが、当初は栗のペーストに生クリームを添えたもので、確かに「白い山」のような見た目をしていたようです。
また、中世にはメレンゲの上にマロンのクリームを盛り付けたようなデザートもあったようです。
そしてその後、フランスと日本の2つの国で、現在食べられているような「モンブラン」が生まれたのです。
まずフランスでは、現在も人気のパティスリー「アンジェリーナ」でフランス式のモンブランが生まれました。
この店のパティシエの妻がイタリア人で、先に挙げた家庭菓子のモンブランを洗練させたものを「モンブラン」と名付けて売り出したのがはじまりと言われています。
このモンブランは、カリカリに焼いたメレンゲの上にクリームを絞り、シロップに漬けたマロングラッセをペースト状にしたものをかけたため、素材のままの栗色(茶色っぽい色)をしています。
対して、日本の自由が丘の「モンブラン」でつくられたモンブランは、日本式のモンブランと言えるのではないでしょうか。
1933年、「モンブラン」の初代店主 迫田千万億(さこた ちまお)が、フランスを旅行した際にモンブラン山を見て惹かれるものがあり、「自分の店にモンブランという名前をつけたい!」と思ったことがはじまり。
モンブランへの登山口であるシャモニー市の市長にも会いに行き、「モンブラン」を店名につけることの許可を受けるなどの熱の入れようだったようです。
帰国後、店の看板商品をつくるため、シャモニーで出会ったメレンゲベースのマロンケーキを基に、気軽に持ち帰りができるように仕上げた、オリジナルのモンブランをつくり上げました。
土台にメレンゲではなくカステラを使用し、日本人に馴染みのあった栗の甘露煮を使用したため、黄色い見た目をしていました。
マロンペーストは和菓子をつくる道具である「小田巻(おだまき)」を使ってふんわりと盛り上げ、空気を含んだ軽やかな食感に仕上げました。
日本での普及と展開
日本の「モンブラン」ではじめてモンブランがつくられてから、オーナーの迫田氏が商標登録をしなかったことから、日本で広くつくられるようになったモンブラン。
当初は甘露煮でつくるマロンペーストによる、黄色いモンブランが主流でした。
その後、1984年に百貨店のプランタン銀座に「アンジェリーナ」一号店がオープンしたことをきっかけに、栗そのものの色を表現した、茶色いモンブランが注目されるようになったのです。
さらに、現在ではモンブランを様々なアレンジで表現するパティスリーが増えてきています。
元々はフランス産のマロンペーストを使ったモンブランが多く店頭に並んでいましたが、最近は和栗を使ったものも多く見られます。
また、「かぼちゃのモンブラン」「サツマイモのモンブラン」「抹茶のモンブラン」など、「マロンペーストを使った洋菓子」に留まらない発展を遂げているのです。