洋菓子の歴史 エジプトからフランス、そして日本の種子島へ

  • 海外事情
  • コラム
  • 歴史

「パティシエ」 というフランス語が一般的に知られ、私たちの間で親しみ深いワードとなり様々な方面で取り上げられるようになって久しく、今や洋菓子全体が時代の進化とともに欠かせない話題となっています。そんな洋菓子の歴史についてのお話です。

そもそも「パティシエ」とは

フランスでは「パティシエ」は非常にステータスの高い職業として認知されています。
「パティシエ」という言葉自体は“菓子職人”のことを指し、「パティシエ(pâtissier)」はフランス語の男性形の名詞で、“菓子製造人”を意味します。
女性形は「パティシエール(pâtissière)」となり、「パティシエール」は、“お菓子屋さん”を指すこともあります。

実際のパティシエの仕事は“同じものを同じ味で作り続ける技術が求められる仕事”で、洋菓子の材料の分量・工程でのタイミングなどを正確に測り、技術と知識で同じ品質のものを作り続けなければなりません。これがパティシエ技術の重要な要素の一つとなっているのです。

日頃食べているケーキが、例えば一週間後、一年後に同じものを食べて、味や見た目が変わっていると私たちはどんな風に感じるでしょう。私たちが何気なく食べている洋菓子の数々はパティシエたちの技術によって品質が維持されているのです。

現在、世界規模の洋菓子コンクールは2年に1度のペースで開催されており、代表的なものはフランス(クープ・デュ・モンド・ドゥ・ラ・パティスリー)とアメリカ(ワールド・ペストリー・チーム・チャンピオンシップ)で行われるもので国際的に権威のあるコンクールで知られています。そこで気になる世界レベルで見たときの日本のパティシエの実力はというと、連覇中の大会もあるほど、世界でもトップ・クラスの技術力を誇っています。

フランスのパリでは2008年からスタートした「モンディアル・デ・ザール・シュクレ」というパティスリー男女の混合チームによる国際コンクールがあります。2011年には日本から参加した男女ペアが優勝を勝ち取るなど、近年世界に「SAMURAI」の実力を知らしめています。

一方、国内においては2008年以降、東京で開催されている実力派パティシエ6名による日本最大級のスイーツの祭典「TOKYO SWEETS COLLECTION」などがあります。

イベントではトップパティシエが作った究極のスイーツが堪能できます。「毎年、新しい何かに挑戦するという事を忘れずに誰もやった事のない事をやろう」を合言葉に「パティシエとしてのこだわり」「スイーツへの想い」を五感で味わう贅沢な時間としてTOKYO SWEETS COLLECTIONは、新たなスイーツの魅力を世界へ発信し続けています。

洋菓子の伝来

「洋菓子」が日本に最初にやってきたのは16世紀。当時は南蛮菓子(なんばんがし)と呼ばれていました。室町時代(1543年)にポルトガル船が種子島に漂着し、鉄砲やキリスト教の伝来とともに、日本の洋菓子の先駆けとなる“カステラ・ビスケット・ボーロ・金平糖”などのお菓子が日本に伝わり始めました。

明治時代以降、日本の伝統的な「和菓子」に対し、小麦粉などを主材料とした菓子を「洋菓子」と呼び、区別していました。
日本への本格的な移入は文明開化以降で、関東(東京・横浜)や関西(大阪・神戸)において日本人の手で洋菓子が作られ始めました。

洋菓子のルーツ

洋菓子のルーツは、古代エジプト時代にさかのぼります。古代エジプトでは小麦粉を使った「パン」が生まれました。その後、パンづくりの技術+甘味源(ナツメヤシ・果実・ミルクなど)が融合し、次第にお菓子らしきものに変化・発展を遂げてきました。その後、エジプトで生まれたパン焼きの技術はギリシャに伝わり、小麦粉に獣脂・オリーブオイル・卵・蜂蜜・果実等を入れて様々な「パン」や「菓子」が作られるようになったのです。

紀元前200年頃には72種類の「焼き菓子」が作られ、誕生日には「バースデーケーキ」、婚礼においてはゴマと蜂蜜から出来た「揚げ菓子」が提供されるなど、次第に生活にも「菓子」が浸透してきました。

ローマ時代に入ると「パン」と「菓子」が区別されるようになります。またそれらを作ることは男性の仕事として確立されました。当初、菓子は特別な儀式や祝日に、また権力者や富裕層に向けて作られていましたが、次第に商品化されるようになり、徐々に一般庶民の間に広がっていったと言われています。

最初は甘味の材料として「蜂蜜」や「果実」を使用していましたが、アレキサンダー大王の東征を機にインドの「砂糖」が次第に西に広がったため、この時はじめて菓子の甘味として「砂糖を使用する」という現在の菓子作りに至る原点が生まれたのです。

更に製菓技術についてもローマ人の慣習から発達・開花されてきました。彼らは神事を重んじていたので、お供え物として「菓子」を多く用いていました。その慣習は日本の祭事文化にも繋がっているのかもしれませんね。

ヨーロッパが形成されていく中世の激動期の中で、キリスト教が力を持ち始めた影響から宗教に関する「祭事用の菓子」が多く生まれました。「ガレット」「ゴーフル」などがそれにあたります。

11~13世紀に入り、それまでは地中海貿易によって得られる貴重なものだった砂糖は、十字軍遠征により広くヨーロッパに持ち帰られ、その後のお菓子に大きな影響を与えました。多くの民衆が「砂糖」と出会い、その普及とともに「お菓子の世界」も少しずつ広がりを見せ始めたのです。

14世紀の菓子は「パン」のようなもので、小麦粉に卵・白チーズ・香辛料を加えるという工夫がなされていました。オーブンがパン屋にも普及していったのもこの時代です。それ以降ヨーロッパは文芸復興が起こり、同時に食文化においても大きな改革の波が起こっていきました。コーヒー、カカオ、スパイスなどの香料、タルトのお菓子、カステラ、糖菓(コンペイ糖)等のコンフィズリー、氷菓(シャーベット)、チョコレート等が発達してきました。

現代におけるお菓子の中核が形作られたのはフランスのブルボン王朝の時代。パイを始め様々な新しいお菓子が誕生し、今の世の「フランス料理」「フランス菓子」の発祥となったのは70年余にも及んだルイ14世の治世期だったのです。

今や私たちの食文化の一つとしてなくてはならない存在になった「お菓子」は、地理上の発見や国境を超えた他国との交わりという歴史的背景と共に大きな変化を遂げてきたのです。

ご意見・ご感想はこちら

パティシエントとは

パティシエントは、洋菓子・パン業界で働くすべての人の働くと学ぶを応援するサイトです。
夢や働きがいがあっても、離職率が高い洋菓子・パン業界。離職の理由に多く挙げられるのが、人間関係や労働条件のミスマッチです。
パティシエントは「どこで」「だれと」「どんな風に」働くのかがイメージできるリアルな求人情報や、仕事に役立つ業界内の様々な情報をお届けすることで、パティシエ・パン職人・販売スタッフをサポートします!
また、業界専門の転職エージェントがあなたにピッタリのお仕事を紹介する「転職支援サービス」を通して、より良い職場との出会いもサポートしています。