日本のパンの歴史 食の欧米化とともに日本に浸透していったパン食文化

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日本には元々「米」を主食とする文化が根付いていますが、近年その消費量は減少の一途をたどっています。
逆に、パンの消費量は増加傾向。
2010年にはパンの消費量が米を上回るなど、食生活が大きく変化していることがわかります。

最近ではホームベーカリーを購入して自宅でパンを焼いて楽しむ人もいるくらい、パンは日本人に愛され、馴染み深いものになっています。
では、米食文化だった日本にいつ頃パンが入ってきて、どんなきっかけでこんな風にパンが好まれるようになったのでしょうか。
今回はその歴史をまとめてみます。

日本のパンの歴史

日本人と発酵パンの出会いは1543年。
種子島に漂着したポルトガル人が、鉄砲と共に伝えました。
特に西欧に強い関心があった織田信長は、はじめて見るパンを喜んで食べたと伝えられています。

その後、幕末頃にはパンが軍用食として注目されるようになり、明治時代になると軍用のみならずホテルや洋館にも製パン施設が出現し、一部の階級の人々がパンを口にする機会が増えてきます。
明治中頃には、街にもパン屋が相次いで誕生するようになり、一般消費者も日常的にパンを食べるようになりました。
この頃、パンと言えば食パンが主流でしたが、徐々に菓子パンも登場して多様化も進んでいったのです。

大正6年、徐々にパンの消費が増えていく中で、大きな変化がありました。
第一次世界大戦が終結した翌年に米価が高騰し、これをきっかけに代用食の食パンの需要が急速に拡大。
同時に製パン業者の数も急増し、より消費者が手に入れやすくなり、日本人の食文化に浸透していくこととなったのです。

明治7年には、今も銀座に店舗を構える木村屋が日本独自の「あんぱん」を生み出しました。
そして昭和45年、今でも多くの店を展開するドンクが、外国人技術者のパン職人を招いてフランスパンを、アンデルセンがデニッシュペストリーの販売を開始。
日商100万円を超える売上で大成功し、これまでのパンとは違う、「ヨーロッパで食べられているような本場のパン」が広まっていきました。

このように、パンは諸外国によってもたらされ、戦争など歴史的な出来事がきっかけで普及していき、人々に受け入れられてきました。
それに加え「食の欧米化」が追い風となり、日常食でのパンの定着が進んだのではないでしょうか。

最近のパン業界では、「塩パン」や「ポップオーバー」など、また新しい流行が生まれつつあります。
パン職人としては、今後も様々な流行を取り入れながらパン作りをすることが必要と言えそうです。

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