前編では、食品表示法の概要とアレルギー表示の現状についてお伝えした。今回は、私が実際に製菓・製パンの現場に入ってきた中で見聞きしてきたことを中心にお話ししたい。
▶ 前編はこちら:食品表示のはなし 前編:あなたのお店のラベルは、本当に正しいですか?
誰も悪くないのに、事故が起きた
ある企業から連絡が入ったのは、食品事故が起きた直後のことだった。実は2年ほど前から私の名前は伝わっていたが、「いまは大丈夫」という判断で依頼には至っていなかった。事故が起きて初めて、私が呼ばれた。
現場に入ると、Excelで管理されていたレシピデータが膨大なファイルに詰め込まれていた。ファイルを開くだけで1分以上かかる。事務担当の方が長年、誰にも相談できないまま1人で全部を抱えていた。
事故の原因はシンプルだった。乳成分が含まれていない商品を使っていたつもりが、取引先の原材料変更が伝わっておらず、代替品には乳成分が入っていた。商品規格書を管理していなかったために、変更を知る術(すべ)がなかったのだ。担当者に悪意はない。むしろ、できる限りのことをやっていた。しかし「できる限り」には限界があった。
こういう状況に置かれている人が、製菓・製パンの現場にはまだたくさんいる。専門外の業務を1人で抱え、正解かどうかも分からないまま進め続ける。相談できる窓口もなく、何かあっても「忙しかったもんね」で片付けられてしまう。そのモヤモヤを抱えながら、今日も誰かが孤独に食品表示と向き合っている。
忖度が、現場を止める
食品表示の管理が乱れているお店に共通するのは、「誰も言わない」という状況だ。
オーブンの上に埃が溜まっている。冷蔵庫の周りが汚れている。材料が地べたに置かれている。スタッフの誰もが気づいている。でも誰も言わない。言い出したら目立つし、角が立つ。それがわかっているから、みんな黙って足並みを揃える。
こうした「忖度」は、衛生管理だけでなく食品表示にも同じように働いている。「このラベル、合ってるかな」と思っても、シェフや社長に聞いても答えが返ってこない。専門外だから当然だ。結局、自分の判断でそのまま出してしまう。
私が現場に入ると、「大津さんがうるさいから」というきっかけで整理が始まることがある。外部の人間だから言いやすい、という構造を逆手に取っているだけなのだが、それでもきっかけになるなら構わない。何度伝えても変わらないお店もある。でも、何かが変わり始めたお店というのは、必ず誰かの意識が変わったタイミングがある。
「うるさい存在」が機能するとき
私が理想だと感じる現場は、食品表示の話題が「当たり前」として共有されている場だ。
大阪・中崎町のパティスリー「hannoc」は、私が継続的に関わっているお店のひとつだ。ここでは、スタッフ間でレシピを共有するチャットに新商品情報が投稿されると、ほぼ必ずといっていいほど「アレルギーの確認は取れていますか」というコメントが入る。商品規格書の更新があれば連絡が入り、気になる原材料の記載があれば「これは合っていますか」と確認が飛ぶ。
最初からそういう現場だったわけではない。最初は「なぜそんなに細かく?」という空気もあった。しかし繰り返しの中で知識が蓄積され、ある時点から「それは当たり前のことだ」に変わった。hannocは専任のシェフを置かず、スタッフ全員でレシピを考案するという特殊な体制を取っている。だからこそ、全員が食品表示の知識を持ち、互いに指摘し合える環境が不可欠だった。その積み重ねが、いまの現場をつくっている。
このような変化が起きた現場は、食品表示への対応だけでなく、仕事全体の質が変わっていく。表示シールがきれいに整っているお店は、たいてい厨房も整っている。書類の管理もできている。これは偶然ではない。丁寧に仕事をするという姿勢は、見えるところにも見えないところにも出る。
製造者としての誇りと、食品表示
食品表示は、事業者を縛るためのものではない。お客様が安心して商品を選ぶための情報であり、自分たちの仕事に自信を持つための仕組みでもある。
洋菓子業界で働く職人は、お菓子作りに誇りを持っている。当然だと思う。しかし「自分が作っているものをご家族に自信を持って渡せますか」という問いに、胸を張って答えられるかどうかは、技術だけでなく、見えないところまで含めた仕事の質にかかっている。
表示シールは「商品の履歴書」だとお伝えした。その履歴書が正確であることは、消費者を守ることでもあり、自分の店を守ることでもある。
アレルギーを持つお客様が、表示を信じて商品を選ぶ。その信頼を裏切らないこと。それは技術的な話ではなく、食を届ける者としての姿勢の問題だと私は思っている。
今日からできること
食品表示の全体像を把握するのは、確かに難しい。法律は複雑で、ルールは頻繁に変わる。忙しい現場で、製造しながら一から学ぶのは現実的でない。
ただ、今日からできることは一つある。まず「自分のお店の現状を把握する」ことだ。
使用しているすべての原材料について、仕入れ先から商品規格書を入手しているか。アレルゲン情報は最新の状態に更新されているか。表示ラベルの根拠となるデータが、きちんと管理されているか。
書類が山積みになっている事務所なら、まずその書類を整理するところから始めてほしい。混然としていたものに居場所が生まれると、次に何をすべきかが見えてくる。その「次の一手」が、自分でできることなら自分でやればいい。難しいなら、専門家の力を借りればいい。
大事なのは、「うちはまだいいわ」で止まらないことだ。
食品表示の世界は、まだまだ知られていないことが多い。私がこのコラムを書いたのは、製菓・製パンに関わるすべての人に、まず現状を知ってほしいからだ。正確な情報が届くことが、消費者の安全につながり、業界全体の信頼につながる。
その積み重ねが、洋菓子の世界をもっと豊かにしていくと信じている。
大津勇介 / 株式会社3MIND 代表。製菓・製パン業界に特化した食品表示コンサルティングを手掛ける。食品表示の適正化支援から、レシピ・原材料情報のデジタル管理(レシピ管理システム「RECIBEL」)まで、現場に伴走する支援を行っている。
HP:https://az.ch3mind.jp/