今や『当たり前』のようになってしまっているパティシエの長時間労働。 変えたいと思ってはいるけど、現実はそう上手くはいかない!と考えるお店が多い中、その慣習を打ち砕いたパティスリーがあります。

パティシエント編集部が向かったのは、大阪府八尾市の近鉄河内山本駅から街道を通り抜け、大きなマンションが立ち並ぶ道の向かいに佇む『モン・ナポレオン』。 50年の歴史を歩み続けているパティスリーの厨房の中心にいるのは、一年程前に入社された38歳のチーフパティシエ、富山和哉さんです。

富山さんは過去働いていたお店でも何度かチーフやシェフを経験。労務環境を整えることに注力してきたそうで、モン・ナポレオンではなんと”17時終業”を実現させています。若手製造スタッフの堂園さんは、「まるでずっと昔からいるかのようで、自分も信頼している」と言います。
入社から一年足らずでチーフとしてスタッフからの信頼を得て、順調にお店を変えていっている富山さん。実際にどんな取り組みを行なっているのか、詳しく聞いてみました。
今ある”当たり前”を見直してみる

▲現在のチーフパティシエ、富山(とみやま)さん

▲パティシエ5年目の堂園(どうぞの)さん
――チーフという立場で入社されたわけですが、入社当時はどんなことに気を遣いましたか?
富山チーフ
「そうですね、チーフとして突然入った人間が自分だけの価値観であれこれ言ったところで反発が起こるのは目に見えているので、まずは自分が『モン・ナポレオン』を受け入れて、お店のルールや価値観に共感した上で少しずつ業務改善を始めました。僕は、前のチーフが抜けて行き詰まっている、このお店の穴埋めをして、”良くしていく”という役目をオーナーに任せてもらっているので」
――スタッフとの関係性はどうやって築かれたのでしょう?
富山チーフ
「スタッフとはごく普通に接していると思いますが、僕自身が”上下関係”にとらわれすぎないようにはしてきました」
堂園さん
「チーフは、スタッフひとりひとりとしっかり向き合ってくれるんです。私はここが二軒目で、チーフより三ヶ月先に入ったんですけど、チーフがきてからは商品もだんだんよくなって。どんよりしていた厨房の雰囲気も、いつのまにか明るくなっていました」
富山チーフ
「当たり前ではあるんですけど、スタッフを取りまとめる立場が”チーフ”なので、孤立して独走してしまったらその時点で組織として崩壊します。同じ店で働く上で信頼関係は絶対に必要ですし、一人で”お店を変える”なんてできるわけがないので」
堂園さん
「聞きづらい…ということもなく話しやすいので何でも聞いていますし、チーフはしっかり教えてくれます。私もチーフのように頼れる存在になりたいと思っています!」
――若手たちはチーフに遠慮なく質問できて、チーフは若手の問いかけに真剣に答える…初歩的な部分から丁寧に、関係性を作っているんですね。
堂園さん
「衝撃だったのが、チーフ、すごく一生懸命掃除をしてくれるんです。
『そんなの私がします!』って言ったら、『全員で使った場所なのに”誰がやらないといけない”なんてある?』って言われて。
別のところで『掃除は”下”がやるもの』のように言われていたことがあったので、感動してしまいました」
富山チーフ
「もちろんやりますよ!掃除以外でも、普段から自分たちのすることに対して”なぜそうするのか”を共有し合えれば、立場は違っても、同じ意識や目的を持って仕事をすることができます」
――確かに。”今なんとなく当たり前になっている”ことの理由を追求して、改めて共通認識をもつことが、元あるものを変えていく上で重要なポイントになるのかもしれません。
『やらなくていいこと』を探してみる

――17時に仕事が終わっているとのことですが、労務改善という部分ではどのような取り組みをしているんでしょうか?
富山チーフ
「まずは”管理”を徹底しました。主に、在庫や売り上げ個数ですね。必要以上に在庫を持たない、作りだめをしない。
それから、『あれをやらなれけば、これをやらなければ』という仕事意識の中から、”やらなくていいことを探す”」んです」
――足し算ではなく引き算のような考え方、ということでしょうか。
富山チーフ
「そうですね。実際、やるべきことって山ほどあるんですけど、全部やっていると一生終わりが来ないんです。段取りも含め、本当にしないといけないことは何なのか、やらなくていい部分があるんじゃないか、と。そうすると仕事が終わる時間は自然と早くなります。小さい無駄を省く、という感じでしょうか」
――今までやってきたことを削ってしまって、売り上げなどに影響は出ないんでしょうか?
富山チーフ
「もちろん、今の売り上げは維持していますし、新商品開発もしていますよ。じゃないと帰れないです。逆に、時間をかけてでも守るべきことは守る。長年お客さんが求めてくれている”味”の部分なんかがそうです。こうしたら早いのにな、ということがあっても、作り手側の都合だけで単純に削ってしまっていいわけがないんです。良いところは残しながら変えていくことを大事にしています」
――なるほど。”当たり前”を細かい部分まで見直すことで、17時終業が実現できるようになったのですね!
堂園さん
「だからこの店では、ちゃんと自分の時間があるんです。さすがにクリスマスは”いつも通り”というわけにはいきませんでしたが、それでも日を越えたりということはなかったです」
富山チーフ
「残って練習をしたり、プライベートの時間にあてたり、自分の時間ができれば気持ちにも余裕ができます。結果的に仕事のモチベーションアップにも繋がるので、それぞれが自分の時間を作れるように全員で努めています」
“パティシエとしての将来”のために、今自分ができることを考える

――気になっていたのですが、富山さん自身の独立は考えていないんでしょうか?
富山チーフ
「もちろん独立はしたいです!独立を叶えるためにも、店の動かし方や経営を学ぶことはより重要になってくると思うので、技術の部分も含め、まだまだ勉強中だともいえます。今はこのお店でやるべきことがたくさんありますし、いろんなタイミングがあえば」
――今努力する先には、『独立』という目標があるのですね。17年間パティシエとして走り続けている富山さん、若手パティシエ達に伝えていきたいことはありますか?
富山チーフ
この業界に入るって決めた時点で、定年まで働くと考えると45年くらいはパティシエをやるわけじゃないですか。20代をだらだらと過ごしてしまうと、30代半ばになって行き詰まって、独立することもできない・雇われシェフになれる実力もない、となると辛いことになってしまいます。僕がよく言われたのは、
『若いときはとにかく動き回ってなんでもチャレンジしなさい。30になったら、頭も使って人を動かせるようになりなさい』
ということ。本当にその通りで。20代でやってきたことはそのまま30代の力になって、人に教えられる。僕も、チーフとして今できることをしっかりやっていきます」

取材後記
20代でモチベーションを維持できずに挫折する人が多い中で、富山チーフがパティシエを続けてこられたのは、『未来のための努力』の大切さを、かつての上司に教わることができたから。 そして今度は、職場の若いパティシエたちに、同じことを伝えようとしています。 ヒトには物事を変えていくチカラがある。次世代のパティシエさん達を、より応援したくなるような取材でした。
