フレデリック・カッセルの生い立ちや受賞歴、現在の活躍を追う!

  • トップパティシエ

あのピエール・エルメ氏に「フランスが誇る卓越した才能と技」と称賛される、フレデリック・カッセル氏。
フランスで最も優秀なパティシエ、ショコラティエの一人であり、さらに「ルレ・デセール」の会長としても有名な人物です。

1 「ルレ・デセール」とは世界最高レベルのパティシエ、ショコラティエで結成される国際的な協会で、そのメンバーには副会長のピエール・エルメをはじめ、ジャン=ポール・エヴァンなどのトップパティシエが名を連ねています。
日本人ではエーグルドゥースの寺井 則彦氏やパティスリー・サダハル・アオキ・パリの青木 定治氏など、現在5名のパティシエがそのメンバーとなっています。

その「ルレ・デセール」の会長に36歳という若さで就任し、48歳の現在も会長として活躍しているという事実は、いかにカッセル氏がパティシエとして優れているかということを示しているのではないでしょうか。
今回は、そのカッセル氏の経歴や活躍をご紹介します。

パティシエ フレデリック・カッセル

カッセル氏は、フランス北部の街で精肉店の息子として生まれました。
小さい頃の夢は服飾デザイナーで、パティシエ・ショコラティエを志したのは15歳でした。

1988年、フォションに入社し、そこでその後の盟友となるピエール・エルメ氏と出会います。
5年後の1993年には、フォションでシェフに就任。
フォションで学んだ「最高の素材と厳格な仕事」の精神はカッセル氏に大きな影響を与え、こだわり抜いた最高の素材と高い技術力によって作られる菓子は次第に評判を呼ぶようになりました。
そして、27歳で立ち上げた自身のブランドは、遠方からも客を呼ぶ人気店となったのです。

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出典 instagram.com fredericcassel_japon
出典 instagram.com fredericcassel_japon


1999年、2007年の2回、フランスの最優秀パティシエを受賞した他、2010年にはフランスパティスリー連合主催のコンテストで「ベスト・ミルフィーユ」を受賞。
フレデリック・カッセルのブランドとして海外初出店となった日本では、東京の銀座三越と京都のハイアットリージェンシーに店を構え、国内外問わず、多くのファンから愛されています。

また、2015年9月下旬には自身初となるレシピ本を発行。
『フレデリック・カッセル 初めてのスイーツ・バイブル』と題し、代名詞とも言えるミルフィーユをはじめ、モンブラン、季節のタルトなど30点以上のレシピを初公開しています。
「フランスのように、お菓子を日常的に楽しんでもらいたい」というメッセージを込めるなど、洋菓子文化の普及にも努めています。

多方面で精力的に活動するカッセル氏のフィールドは自身の店だけに留まらず、指導者としても発揮され、監督を務めた2013年のクープ・デュ・モンドでは、フランスを優勝へと導きました。

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カッセル氏の店のロゴは、自身で描いた天使の絵。
その理由を、「ぼくはお菓子の天使だから」と彼は言います。
「フランス菓子とは、まず喜びでなければならない」と語るカッセル氏の、食べた人から笑顔がこぼれるような菓子を作るという強い思いの表れで、多忙な現在でも時間がある限り自身の店に立っていることからも、その思いがうかがえます。

さらに、若いパティシエ達に最高峰の菓子作りを伝えるべく、「ルレ・デセール」の会長として世界中を廻り、パティシエという職業に情熱を注いでいるカッセル氏は、間違いなく世界が誇るパティシエと言えるのではないでしょうか。

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