名古屋で、常に住みたい街ランキングの上位に入る高級住宅街、覚王山(かくおうざん)。覚王山駅から日泰寺に向かう坂道の途中に「シェ・シバタ名古屋」がある。1995年に岐阜県・多治見で「シェ・シバタ多治見」を開業した柴田武シェフが2006年にオープンさせた2号店で、東海きっての超有名店だ。
シェ・シバタは2009年からは海外にも進出し、2019年現在、日本に4店舗、中国で6店舗(上海で3店舗、杭州で2店舗、広州で1店舗)、タイのバンコクに2店舗を展開。柴田シェフは現在、1年の6〜7割は海外出張という多忙な日々を送っている。今回はその柴田シェフに、「シェ・シバタ名古屋」でお話を伺った。
「スタッフが笑いながら、私語しながら仕事をしているような店は、必ずクオリティーが低下しています。」「怒れない大人が増えて怒れない教育、お金の為に生徒を甘やかす学校。もう懲り懲りです。」といった、ブログやfacebookでの「キレッキレ」の発言にも注目が集まる気鋭のシェフは、今の菓子業界をどう見ているのだろうか───
柴田 武(しばたたけし)さん
1971年生まれ、岐阜県出身。辻フランス料理専門カレッジ卒業。神戸のフランス料理店「ジャン・ムーラン」のパティスリー部門での修行後、渡仏。パリの「ホテル・リッツ・エスコフィエ」、「シェ・ミラベル」等で修業し、1995年に24歳で「シェ・シバタ多治見」を開業。2009年の上海を皮切りに海外進出を果たした。2010年8月に多治見市観光大使、2015年に愛知県西尾市の抹茶大使に就任。
弱冠24歳で独立。地元多治見でブランドが確立するまで
まずは、シェ・シバタが有名になるまでの軌跡について伺っていこう。どんな経験が今の柴田シェフを作ってきたのだろうか。
──高校時代までは野球少年だったそうですが、なぜパティシエの道に?
小学生のころからフランスのお料理やお菓子が好きで、フランスに憧れがあってね。高校を出て1年間、フランス料理の専門学校に通って勉強して、神戸のフランス料理店のパティスリー部門で働いて……。初めてフランスに行ったのは独立する前で、今も1年に1回は時間を作って行くようにしてる。
──渡仏後、24歳で独立されるんですよね。その若さで経営者になることや人を雇うことに不安はなかったですか?
オープン時は1人雇ったけど、雇う不安はなかったかな。そもそも一人でできる仕事じゃないしね。それより売上の心配が大きかった。経営なんてわからないから、借金が嫌で10年計画のところ4年半で完済したりしてね。
──半分以下の期間で返すのはすごいと思うんですが、それではダメなんですか?!
完済したら、翌年から全部利益になるでしょ。税金の面で不利になる(※)。そんなことも知らないから、借金が嫌いだから早く返して。いまは経営を自分でも勉強したし、教えてくれる人もいたからもうわかるよ。失敗を繰り返しながら学んでいった感じだね。
※筆者注:条件によっては借入金を利益(所得)と相殺することで節税できることがあり、早く返すことで逆に税額が上がることがある。
▲お菓子作りのインスピレーションはいまだに絶えることなく湧いてくるそうだ。
▲クロワッサンやアップルパイもある。
──税金面はともかくそのペースで返済できるのはすごいと思うのですが、多治見はいま以上に田舎…というか地方だったと思います。お店が人気になるきっかけはあったんですか?
『これがきっかけだった』というより、独立してから5~6年?いや、7~8年かな。『パティシエ』『スイーツ』という言葉が市民権を得てきたころから人気が安定してきた感じかな。
──ネットも活用されたんでしょうか?
iMacが発売された年(1998年)にパソコンを初めて買って、海外のサイトを参考にしてホームページを作ったね。父親がIT関係でインターネットの時代だというようなことも言ってたけど、自分でも時代のスピード感が変わるという確信みたいなものがあった。ブログもなかったけどシェフのページみたいなのを作ってお気に入りのお店を紹介したり……。デジカメもないからプリントした写真を業者に送って載せてもらって。
──食べログもない、一般人がネットに写真をアップすることもできない時代から!
多治見という場所にあるケーキ屋を知ってもらうには、他の人と違う方法で発信していくしかないと思ってた。今はLINE@やSNS投稿の割引もやってるけど、すごく大事なプロモーションのひとつだと思ってる。
失敗から学び続ける勤勉さ、新しい時代に敏感に反応して行動する実行力。シェ・シバタが、スイーツブームのインターネット黎明期に伸びたのは必然だったと言えそうだ。
お菓子職人として、経営者として、常に時代を読んでいく
──お菓子職人として、経営者としてお店をやっていく上で大事にしていることはなんですか?
奇抜なことが好きで、他人と同じことはやりたくないという気持ちが強い。生活必需品ではないからこそ、色や形を追求したい。ロールケーキやプリンも置けばいいのかもしれないけどそういうのはやりたくないし、流行してるからうちもやろうみたいなのは全然好きじゃない。他の人がまねできないことで成功する、時代の先を読んでいく力が大事だと思ってる。
▲ラピスラズリのような青色の素材を使うなど、芸術的なケーキが並ぶ
▲ホールケーキを半円にして立てるという、奇抜なアイデア。
▲芸術的な美しさの追求は、ケーキだけではない。店内には写真や芸術作品もある。
▲2019年10月現在は、バラを一輪ずつ並べるというハッとするような演出。
──シェフは現在、月の半分以上は海外出張に行かれていますが、元々海外志向というか日本のお菓子を世界にとか、そういうビジョンがあったんですか?
こういうビジネスライクな話はあまりウケないかもしれないけど、『誰もやってないことをやりたい』と思った、その答えのひとつが海外進出でもあった。それに、人口減少や安さを求める日本人の傾向を考えると日本のお菓子市場の縮小は確実だから、海外の拠点は必要だと思ってる。パティシエとしてお菓子のニーズがある国、すべてが私達の仕事のエリア。日本だけで店を出す仕事をする考えは、もう古い。
──でもこういうビジネスライクな話、ブログやfacebookでもよく投稿されていますよね。「日本の安ければ良いの考え方は、先進国としては的外れな思考だと一人でも多くの方に知ってもらいたい。」など率直な発言が多いですが、ほかのパティシエの想いを代弁している部分もあるんですか?
その人じゃないから、代弁なんてする気もないよ。でも、そういうことを書くとシェア数は伸びるから、『ほんとはそう思ってるんだろ』ってとこはある。思ってるなら、自分で言えばいいのにね(笑)
▲スマホでパティシエントマガジンを見る柴田シェフ。「こういう媒体ではちゃんと現実を伝えないと」と手厳しい。
柴田シェフは「日本のパティシエの素晴らしいスキルを海外に発信することが、今後の大きな役割だ」とも話す。言語や文化の壁を乗り越える必要はあるが、こうして先陣を切って”日本の洋菓子技術”を広める柴田シェフは、今後国外で働こうとする若手にとっても頼もしい存在だ。
※柴田シェフの海外での活動はインスタグラムなどで垣間見れるので、気になる人は要チェック!(@takeshishibata)
シェ・シバタがお土産や企業とコラボする意味とは?
「名古屋キャラメルさんど」「名古屋バトンショコラ」など、名古屋のお土産業界でもシェ・シバタは存在感を増している。また、地元スーパーマーケットのイベント商品を監修することもある。奇抜で新しいことを追求したい菓子職人として、万人受けを求められる商品を作ることにジレンマはないのだろうか。
▲名古屋店のショーケースには、名古屋駅ほかで買えるお土産
──お土産やコラボ商品の場合、価格や日持ちなどの条件を考えると素材にはかなり制限がかかります。
もちろん、ここ(シェ・シバタ)で出しているものとは根本的に違うよね。
──こんなのは本物じゃない、シェ・シバタの味じゃない、と失望するファンもいるのではないですか?
いるでしょうね。でも、経営者ですから。それに、長くやっていると大事にしたい関係性もあるし、企画や採算の取り方など企業との仕事は経営者として学ぶことも多い。
──そういう話を受けるときに、シェ・シバタというブランドを守るための基準はあるんですか?
与えられた条件下でできるかぎりのことをする、それだけのことです。例えばだけど、高級車を作っているメーカーが「軽自動車も出している」と怒る人はいないし、それでブランドは失墜しない。
──その例は、ものすごく腑に落ちますね。
お土産だから、普通と言われれば普通だけど。でもお土産も、長く続くものを作りたいと思ってやってる。赤福やゆかり(坂角総本舗)ほどの知名度はないから、季節ごとのフレーバーを出すとかの工夫がいる段階だけど、「名古屋キャラメルさんど」はコンスタントに売れているしね。それに、シェ・シバタだということでもらって嬉しくなってくれている人がいることにもお土産を作る意味があると思う。パティスリーブランドでここまで売ってるお土産ってたぶんないでしょ。
働き方改革とシェ・シバタのこれからに思うこと
2019年から本格的に始まった「働き方改革」。時間外労働の上限の定め、有給休暇の取得など、中小企業も2020年4月から規制対象となり、違反した場合には罰則が科せられるおそれもある。
離職率が高く、いわゆる「ブラック」と言われがちなお菓子業界において、働き方改革はどんな影響を与えているのだろう。
▲多忙でも厨房に立つ。講師としてデモンストレーションすることも多い。
──働き方改革について、お伺いできますか。記事に書けるかどうかはあとで考えますので(笑)、まずは率直に。シェ・シバタではスタッフの働き方を変えましたか?
罰則が始まるのは来年(2020年)4月だけど、もう今年から規定通りの給与体系と休みにした。専門学校の先生方にも、『早々に対応するのはすごい』と驚かれるけどね。
──でも、それで後進のお菓子職人を育てることはできますか?
我々は法律の枠組みの中でやるしかない。法律違反するわけにはいかないでしょう。でも、『職人』を育てるのは諦めてる。
──といいますと?
自分たちは長い時間をかけて『職人』になった。やり方を工夫すれば半分の時間でも同じ結果を出せるなんて、そんなことはないと思ってる。だから、いままでのような『職人』は、もう育てられない。
──では、シェ・シバタの後継者についてはどうお考えなのでしょうか?
後継者を育てるつもりは全然ない。何代目とか、日本人って大好きだよね。でも、海外の老舗ブランドはルイ・ヴィトンでもなんでも、経営者はどんどん変わってるんですよ。儲かるから誰かが買収する。だから、シェ・シバタというブランドを活用したい人がいるならそれは全然構わないけど、シェ・シバタの名前を残したい、後継者を育てたいという気持ちはないね。
──誰かがシェ・シバタを継ぐ必要はないと。
自分も、以前は『昔のものを受け継ぎたい』という気持ちを持ってたけど、その感覚はどんどんなくなっていった。もちろん伝統のお菓子は大事にしてる。でも、受け継ぐことよりも新しい時代に新しいお菓子のあり方を考えるほうにシフトしていった。
働き方改革の話は、きれいごとでは済まない。
お菓子業界の未来を諦めているようにも聞こえる言葉が続いたが、柴田シェフは2020年4月を待たずにスタッフの労働環境を変えている。労働環境は早々に時代に合わせた。その中でどうやって生きていくのか、答えは自分自身で考えていけ、ということなのだろう。
▲「大きい奴は奥へ!」と撮影にも気を使ってくださる柴田シェフ。
「街のお菓子屋さん」はどうしていくべきか
──改めて、柴田シェフにこれからのお菓子業界について伺います。まずは、どうなっていくと思いますか?
間違いなく淘汰されるね。間違いない。働き方改革の話だけじゃなくて、人口が減るし、高齢化していくから。高齢者、そんなにケーキ食べないでしょ。外国人を雇うのが上手な人も少ないし、40%くらい減ってもおかしくないんじゃないの。
──では、これからは『街のお菓子屋さん』はどうしていくべきでしょう?
時代の先を読んで、行動していくこと。もう、お菓子がおいしいだけで生き残れる時代じゃない。経営者になるなら時代を読んで、マーケットがどうなっていくかを予測するビジネスセンスを磨かないといけない。それからこれが大事なんだけど、わかったら行動しないといけない。みんなすぐ『わかってるけどまだいい』って言ってやらない。
──問題があるのはわかってるけど、どうしたらいいかわからないときは?
どうしたらいいかわからないって、それはもう経営者に向いてないでしょ。
──た、たしかに……。
あと、『自分一人や夫婦で小さな店をやっていくなら大丈夫』って考える人が多すぎる。でも、それで利益が出せるのか?老後の年金は?倒れたときのために保険に入ったり、治療費を出せたりするのか?自分を守るためには、そこまで考えないといけない。こういうお金の話は日本人は嫌がるけど、自分たちの生きて行く環境がどんどん厳しくなることをもっと自覚しないと。楽しい話ではないけどね。
──楽しくなくても、現実を知るのは大事なことだと思います。淘汰されてしまった人は路頭に迷ってしまうんでしょうか?
経営者じゃなくても、どこかで働けばいいと思う。うちに来てくれたら雇うよ。給料も休みもちゃんとあるよ。
──なんと、力強いお言葉!では最後に。パティシエの老後のお話も出ましたが、シェフ自身、70歳や80歳でどうしていたいかという展望やイメージはありますか?
80歳でバリバリ働くのは嫌だなぁ。経営の第一線じゃなくて、趣味程度にね。
──では、お菓子作りは一生やめないんですね?
やめたらボケるし(笑)。死ぬまでやっているようなイメージですかね。
店舗プロフィール
シェ・シバタ 名古屋
住所:愛知県名古屋市千種区山門町2丁目54
営業時間:10時~19時30分
定休日:毎週火曜日
公式HP:
http://chez-shibata.com/